さて前回Part①の続きになります。
そうして腹痛をこらえつつどうにか出勤して原因が全くわからず日々またあの謎の腹痛がいつ起きるかとびくびくしていたのですがその後たいした痛みは起きませんでした。
しかしそれが2月だったのですが5月にとんでもない事件が起きました。
あまりの痛みでぶっ倒れる
その日は晩ご飯をとあるお総菜屋さんで買ってきた日でした。
私の好きなかぼちゃコロッケやポテトサラダなど色々買ってきて晩ご飯に食べました。
でも好きなはずのかぼちゃコロッケを目の前にしても今思えば全然食欲が無かったんです。でも頭ではこれは好物のものだとインプットしているためか普通に食べたんです。
でも全然おいしいと思わなかったし途中でもういらないな、とふと思ったのですが無理して全部食べました。
食後もなんとなく気分が晴れずなんか変だなと感じていたはずなんですが当時の私はあまり深く考えていませんでした。なんだか今日のかぼちゃコロッケあまりおいしくなかったな、とは思ってたんですけどね。
今思えばずっと背中が痛かった。
そして晩ご飯を食べてしばらく2階の自分の部屋で休憩していました。母は一緒にごはんを食べた後すぐ布団でゴロ寝するタイプなので自分の部屋で寝ていたみたいです。
お風呂は入っていたのかまだ入っていなかったのかちょっと記憶が定かではないです。パジャマで病院に行ったのでお風呂後だったかもしれません。
何をしていたか忘れたのですが多分テレビを見ていたら急に何だか気分が悪くなってきてだんだん吐き気になりました。しばらく様子をみていたのですがどうやらどんどん吐き気は増してきてもう吐きそうってなったので慌てて1階のトイレへ行ってさっき食べた晩ご飯全部吐いたんです。
そんなことしていたらお腹もどんどん痛くなってきてそれがまたものすごい痛みで2月になった時位の痛みがたった5分位の間にピークまできました。背中も腰もなぜか痛くて。
食あたりだと思ってどうにかくの字になりながらトイレで用を足すと軟便が出てきて・・・それでもまだお腹は死ぬほど痛い。もうトイレで座っておくのもできないくらいの痛み。
やばいコレは死ぬかもしれない、と思って母を呼ぼうと思ってトイレから呼ぼうにも痛すぎてほとんど声が出ない。
トイレから母の部屋までちょっと距離があったし母の部屋はぴっちり扉閉めているようだしおまけに食後のごろ寝で多分本気寝してたと思います。
死ぬ思いでトイレから這いずり出てきたんですが声が出ない、とにかく痛くて痛みで息を止めてしまうからか、呼吸困難みたいになってきてゼエゼエいっていたら手足がしびれてきて更に全身が寒いのに暑くて汗がびっしょり出てきて服も脱ぎ散らかしてうなっていました。トイレの前で。
あまりにも痛くて暴れる事もできず声も出せずどうやったのか覚えてないのですが母が何か物音がするというので気づいてくれてやっと駆けつけてくれました。
真夜中に救急車で病院へ
すぐ救急車呼んでくれました。
多分夜中0時過ぎていたので救急車は家の近くに来る頃には音を消していたようでした。
更に言うと家の玄関前に行く道が細道なので救急車は目の前まで来れず公道に止めて隊員さんが歩いてきておりました。
夜中で電灯が無いので暗くて見えないからか、家の裏の普通車1台ならUターンできるくらいのスペースがあるのに救急車はそこに入ってきてませんでした。家の裏のスペースの更に向こうの田んぼを1枚越えた所にある公道に救急車は止めていたようです。
めちゃくちゃ石ころだらけのがたがた道を担架に乗せられてガタガタガタガタされながら救急車まで行く時が地味にお腹や全身に響いてきてかなり痛くてしんどかったです。5月とはいえ夜はまだ寒くてパジャマの薄着でぶるぶる震えてたと思います。
救急車って患者が乗ってから隊員さんが最寄りの病院に連絡して、行ってもいいかOKが出ないと動けないって知ってますか?私は結局持病があるからということでいつも通っている大学病院に連絡してみると来てもOKとのことでした。
なので高速道路を使って搬送されました。
救急車の中で寝ているベッドって意外と硬いし車も振動がもろにくるタイプのようで痛がっている病人を運ぶ車だけどガタガタなって結構厳しいなと今思います。
この時救急隊員さんが私の家族にも同じ潰瘍性大腸炎がいますって言っていましたね。なので潰瘍性大腸炎が大事になったと救急隊員さんも母も思ってかなり心配されました。
救急隊員さんに感謝
それにしても本当に死ぬかと思うくらいの痛みであまりに痛いと人間声が出せませんね。ただただ痛みをこらえるのに必死というか、なんというか。2月のものすごい腹痛よりすごかったです。
それに痛すぎて呼吸がおかしくなってゼエゼエいっていたせいかわかりませんが手足がしびれる事を息も絶え絶え言うと隊員さんは呼吸が荒いからですよだから大丈夫ですよと言ってくださいました。
たったそれだけの事でしたが自分はどうなってしまうのかと本当に怖かったのが少しだけ安心できたし、真夜中に遠くの病院まで送り届けていただいたりと本当に感謝しています。
救急車があって本当に助かりました。もう二度と乗りたくないですがありがたいシステムだなと感じます。
子宮内膜症だなんて本当に思っていなくて運ばれる道中も謎でした。
しかし運ばれている途中少しずつ痛みがおさまってきてたんですよね。
で、病院に着いた時には半分くらいになってたかな~?痛いけど唸るほどではなかったです。
病院での事はまたつづきに書こうと思います。